

創業の日
1946

1946(昭和21)年6月15日、第二次世界大戦の過酷な戦闘から奇跡的に生還した創業者・塚本幸一は、京都の自宅へ帰り着いたこの日から、婦人装身具の商売を始めました。これが、ワコールの創業日となっています。
創業当初の商号は『和江商事』。1949(昭和24)年に、塚本幸一の「日本の女性を美しくしたい」という強い思いと、『ブラパット』が出会い、事業に決定的な飛躍をもたらし、世界を視野に入れた婦人洋装下着メーカーを実現する和江商事を設立しました。
創業当初の商号は『和江商事』。1949(昭和24)年に、塚本幸一の「日本の女性を美しくしたい」という強い思いと、『ブラパット』が出会い、事業に決定的な飛躍をもたらし、世界を視野に入れた婦人洋装下着メーカーを実現する和江商事を設立しました。
百貨店への出店
1950

1950年、百貨店として初めて高島屋京都店にワコールの女性下着売場がオープンしました。
日本女性の装いが和装から洋装へと大きく転換する機会を捉え、ワコールは婦人洋装下着を自らデザインし、自社工場での製造を開始しました。経済高度成長期から女性の生活の質・おしゃれへの関心が高まる中、ニーズに応えるさまざまな製品を生みだします。
日本女性の装いが和装から洋装へと大きく転換する機会を捉え、ワコールは婦人洋装下着を自らデザインし、自社工場での製造を開始しました。経済高度成長期から女性の生活の質・おしゃれへの関心が高まる中、ニーズに応えるさまざまな製品を生みだします。
相互信頼経営の確立
1962

労使関係が大きな課題であった1962年、創業者である塚本幸一は出光興産の出光佐三社長の講演を聞いて、強い感動を覚えます。
「人間尊重を口にするなら社長がまず組合を信じることだ」と考えた創業者は、遅刻早退などを社員の自主精神にゆだねるという『相互信頼経営』を断行します。
これにより社内の雰囲気は一新し、会社のさらなる成長を生む、精神的な基盤となりました。
「人間尊重を口にするなら社長がまず組合を信じることだ」と考えた創業者は、遅刻早退などを社員の自主精神にゆだねるという『相互信頼経営』を断行します。
これにより社内の雰囲気は一新し、会社のさらなる成長を生む、精神的な基盤となりました。
人間科学研究の開始
1964

日本女性の体型にぴったり合う製品をつくるため、1964年に東京浅草橋に新たにオープンしたワコール・ビルに『製品研究部』を設置して、人間工学に基づいた日本女性の体型計測と研究を本格的にスタートさせました。
ブラジャーのサイズ体系を確立させたほか、人体計測データの集積やそれに基づいた女性の理想的体型の数値化を行いました。製品研究部はやがて「人間科学研究所」に発展し、体型データの収集のみならず、感覚、生理、動作に至るまで研究領域を拡大していきます。
ブラジャーのサイズ体系を確立させたほか、人体計測データの集積やそれに基づいた女性の理想的体型の数値化を行いました。製品研究部はやがて「人間科学研究所」に発展し、体型データの収集のみならず、感覚、生理、動作に至るまで研究領域を拡大していきます。
海外市場の開拓
1970

1970年、日本万国博覧会(大阪・千里で開催)に、リッカーミシンとの共同で『ワコール・リッカーミシン館』を出展。国際的に募集して万博会場で結婚式を挙行する“エキスポ・ウエディング”が大きな話題を呼びました。またアメリカの専門誌に国内の業界で初めてシリーズ広告を掲載、世界に向けてワコールの企業姿勢をアピールしました。同年に韓国・タイ・台湾に合弁会社を設立しました。製造された商品は日本国内の量販店市場向けに輸入するとともに、台湾とタイでは現地販売が始まり、ワコールはアジア地域から、世界進出への第一歩を踏み出しました。
量販店チャネルの開拓
1975

展開した量販店売場
1970年代、量販店は衣料品の売上高で百貨店を抜き、巨大な流通チャネルに成長しました。
ノンブランドの製品を大量に販売する手法から、ナショナルブランドの安売りに舵を切り始めたころ、ワコールにも攻撃がかかりました。大手量販店との交渉を続けた結果、専用売り場の開設と建値販売の尊重という条件を前提に、量販店のランジェリー売場に、ナショナルブランド「ウイング」が並びました。
ノンブランドの製品を大量に販売する手法から、ナショナルブランドの安売りに舵を切り始めたころ、ワコールにも攻撃がかかりました。大手量販店との交渉を続けた結果、専用売り場の開設と建値販売の尊重という条件を前提に、量販店のランジェリー売場に、ナショナルブランド「ウイング」が並びました。
海外市場の拡大
1981

1980年代は、ワコールにとってアジアでの拠点拡大と欧米進出への足がかりをつくった時代でした。
1981年、米国に現地法人Wacoal America Inc. (現ワコールインターナショナル株式会社)を設立、1983年、香港に現地法人株式会社ホンコンワコールを設立したほか、日本のアパレル企業として初めて中国に合弁会社を設立しました。現地に根差した独自の海外事業展開により、世界のワコールの礎が築かれます。
1981年、米国に現地法人Wacoal America Inc. (現ワコールインターナショナル株式会社)を設立、1983年、香港に現地法人株式会社ホンコンワコールを設立したほか、日本のアパレル企業として初めて中国に合弁会社を設立しました。現地に根差した独自の海外事業展開により、世界のワコールの礎が築かれます。
米国で悲願の黒字化
1995

「フィット・フォー・ザ・キュア」キャンペーンのポスター
米国市場への参入以降、在庫過多や販管費の膨張により業績の低迷が長年続きました。それでも、自社工場の品質改善を進めつつ、建値の維持とコンサルティング販売を貫いた結果、設立から15年、1995年に初めて黒字化を達成しました。
直営店事業の開始
2001

百貨店や量販店の相対的地位が低下し、ファッションビルや駅ビル、ショッピングモールが台頭する中、ワコールは2001年に初のSPA型直営店「スビート」を東京・原宿にオープンしました。その後、購買客層や立地特性に合わせた複数のショップフォーマットを相次いで展開し、顧客の拡大に挑み続けています。
ヨーロッパ市場での
本格展開
2012

2012年、ヨーロッパの事業拡大を目指し、イギリスに本社を置き、幅広い体型やサイズに対応した複数のブランドを有するイヴィデン社(現ワコールヨーロッパ)を子会社化しました。
ここからイギリスやユーロ圏でのプレゼンスは一気に拡大し、買収後の事業統合も完了し、ブランドポートフォリオの見直しによって、より強固な収益基盤を築きつつあります。
ここからイギリスやユーロ圏でのプレゼンスは一気に拡大し、買収後の事業統合も完了し、ブランドポートフォリオの見直しによって、より強固な収益基盤を築きつつあります。
世界のワコールを
目指して
2019

2019 世界のワコールを目指して
2019年「ワコール3D スマート アンド トライ(smart & try)」と呼ぶ、次世代のインナーウェアショップを、オープンしました。ワコール独自の3Dボディスキャナーや接客AIなどを活用した新たな接客サービスを導入した店舗です。この新しい接客サービスは次世代ショップにとどまらず、今後、様々なチャネルの店舗に展開し、未来に向けて顧客体験を変えていきます。
ワコールは1964年に人間科学の研究を開始して以来蓄積してきた計測データや3Dボディスキャナーという新たな技術で得たデータなどを活かして、「顧客データの活用」をベースとしたビジネスモデルへの変革を加速します。そして、お客様の変化に対応したサービスや価値提供を行うことで、下着文化の領域を開拓し続け、さらなる成長を目指します。
2019年11月に創立70周年を迎えたワコールは、これからもグループのネットワークを最大限に活かし、常に先駆的な商品やお客様の変化に対応したサービスを世界市場に提供できる仕組みを強化していくことで、創業来の社是でもある「世界のワコール」を目指し、挑戦し続けます。
2019年「ワコール3D スマート アンド トライ(smart & try)」と呼ぶ、次世代のインナーウェアショップを、オープンしました。ワコール独自の3Dボディスキャナーや接客AIなどを活用した新たな接客サービスを導入した店舗です。この新しい接客サービスは次世代ショップにとどまらず、今後、様々なチャネルの店舗に展開し、未来に向けて顧客体験を変えていきます。
ワコールは1964年に人間科学の研究を開始して以来蓄積してきた計測データや3Dボディスキャナーという新たな技術で得たデータなどを活かして、「顧客データの活用」をベースとしたビジネスモデルへの変革を加速します。そして、お客様の変化に対応したサービスや価値提供を行うことで、下着文化の領域を開拓し続け、さらなる成長を目指します。
2019年11月に創立70周年を迎えたワコールは、これからもグループのネットワークを最大限に活かし、常に先駆的な商品やお客様の変化に対応したサービスを世界市場に提供できる仕組みを強化していくことで、創業来の社是でもある「世界のワコール」を目指し、挑戦し続けます。