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創業者から受け継がれるワコールの「創業の精神」とは?“ワコールの過去と未来を考える”従業員向けイベントを開催

6月12日、『ブラジャーで天下をとった男 ワコール創業者 塚本幸一』の出版を記念して
“ワコールの過去と未来を考える”トークライブイベントがワコール新京都ビルで開催され、約50名の従業員が参加しました。
丹念な取材を重ねて評伝を執筆された作家の北康利先生から語られる創業者・塚本幸一とはどんな人だったのか。
ワコールに受け継がれる「創業の精神」について紐解きます。
また、イベント後半には、お母さまがワコールの販売員として働いておられた、
レオス・キャピタルワークス株式会社の藤野英人社長にも参加いただき、
これからのワコールを考えるディスカッションを行いました。

  • 北 康利KITA YASUTOSHI

    東京大学を卒業後、富士銀行へ入行。
    資産証券化の専門家として活躍。同行退職後、白洲次郎、福沢諭吉、松下幸之助、吉田茂、安田善次郎などの、評伝をライフワークとする作家として活躍中。

  • 藤野 英人FUJINO HIDETO

    レオス・キャピタルワークス
    代表取締役 会長兼社長CEO・CIO(最高投資責任者)
    野村投資顧問(現:野村アセットマネジメント)、ジャーディンフレミング(現:JPモルガン・アセット・マネジメント)、ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメントを経て、2003年レオス・キャピタルワークス創業。中小型・成長株の運用経験が長く、ファンドマネージャーとして豊富なキャリアを持つ。投資信託「ひふみ」シリーズ最高投資責任者。投資啓発活動にも注力する。

「私が皆さんを大変うらやましいなと思うのは、この評伝を読んでいただくことで、皆さんは先輩方について学ぶことができる、それはとても得難い経験なのではないでしょうか。ワコールという会社で働くことを誇らしく思える。“先人に学ぶ”ということは、非常に意味のあることです。」
著者の北康利先生は、富士銀行で資産証券化の専門家として活躍され、退職後は経営者や政治家など、数々の人物たちの評伝を執筆されています。北先生の目にワコールの創業者・塚本幸一はどのように映っていたのでしょうか。

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ワコール創業者 塚本幸一(つかもとこういち)(1920年-1998年)
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1946年6月15日、第二次世界大戦の過酷な戦闘から奇跡的に生還した創業者・塚本幸一は、京都の自宅へ帰り着いたこの日から、婦人洋装装身具の商売を始める。これが、ワコールの創業日となっている。創業当初の商号は「和江商事」。その後、塚本は日本女性の装いが和装から洋装へと大きく転換する機会を捉え、婦人洋装下着の製造・販売を開始。高度経済成長期から女性の生活の質・おしゃれへの関心が高まる中、ニーズにこたえる様々な製品を生み出し、ワコールは飛躍的な成長を遂げる。
塚本は、日本人女性の体型にぴったり合う製品をつくるため、1964年に「製品研究部」を設置し、人間工学に基づいた日本人女性の体型計測と研究を本格的にスタート。ブラジャーのサイズ体系を確立させたほか、人体計測データの集積やそれに基づいた女性の理想的体型の数値化を実施。製品研究部はやがて「人間科学研究所(現:人間科学研究開発センター)」に発展し、体型データの収集のみならず、感覚、生理、動作に至るまで研究領域を拡大。また、1970年に韓国・タイ・台湾に合弁会社を設立し、現地販売を開始。その後、1981年には米国、1983年には中国への進出を果たすなど、グローバル企業として成長を実現する。

ワコールの「創業の精神」

創業者・塚本幸一は「生かされている人生を、世のため人のために尽くそう」と考え、「女性が美しくしていられる社会こそ平和な社会」という信念に基づき会社を設立。「すべての人々に美しくなって貰うことによって、広く社会に寄与する」という目標を実現するためには、「相互信頼」経営が不可欠であり、すべてのステークホルダーから信頼される会社にならなければならない。その創業者の想いは、今も従業員一人ひとりに受け継がれている。

「創業の精神」


創業者は、逆境にあって“自分をのばした人”

「塚本幸一は、何がすごかったのか。それは“後天的に自分をのばした人”であることだと申し上げたい。近江商人の家に生まれ、商いが身近であったことは、先天的な要因ですが、それ以外は逆境だった。第二次世界大戦のインパール作戦という大変過酷な戦場で、塚本が所属した部隊は55人中3人しか生き残れなかった。塚本は、その厳しい環境を生き延び、そこから這い上がって来られた。そのことを評伝で知っていただきたいなと思います。」

『ブラジャーで天下をとった男 ワコール創業者_塚本幸一』のプロローグでも、ミャンマーから隣国のタイを目指して進む過酷な状況のエピソードが描かれています。“悲惨なインパール作戦の生き残り”であると、塚本幸一はよく紹介されますが、その壮絶な戦争体験は平和への想いと、「世の女性を美しくしたい」という創業への想いにもつながる、つまりワコール誕生につながる大きな出来事です。それを知ることは、改めて「創業の精神」について思いを馳せることに繋がります。また、6月は、塚本幸一の人生にとって、大きなポイントとなった時期だ、と北先生は言います。

「1946年、敗戦翌年の6月12日に彼が乗った復員船が浦賀につき、翌日に上陸しました。6月15日には京都駅に到着し、塚本はその日のうちに商売を始めています。塚本がはじめた個人商店、それが「和江(わこう)商事」です。和江商事でまず塚本はアクセサリーの販売を手掛けるわけですが、熱意ある営業で各地に販路を開拓していきます。そのスピード感には、塚本幸一の感じた危機意識の大きさがうかがえます。塚本幸一は、日本に帰ってきてすぐ、浦賀でところてんを食べるのですが、ここで彼はハイパーインフレを実感したのです。戦前、5銭だったところてんは10円となり、200倍の値段になっていました。戦争と敗戦。さらに復員兵に対する世間の冷遇とハイパーインフレ、200倍に跳ね上がった庶民の味を食べながら塚本幸一は「なんとかしなくては」と強く戦後の復興を思ったでしょう。商売の道を突き進むことを決意し、そしてその商材として選んだのが、女性を美しくする婦人洋装装身具(アクセサリー)だったのです。」

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最先端をみて、取り入れ、目標に近づく

国を豊かにしていくためにはどうすればいいか、塚本は想像力を働かせました。当時の女性は和装で、下着の役割は防寒か汗を吸い取るためのものでした。しかし、“洋装化”という未来を見据えて、下着は大きなマーケットになる、と塚本は読んだのです。彼には先見の明がありました。次第に、アクセサリーのほかにブラジャーやコルセットを扱うようになりました。
「塚本は、“女性を美しく”という視点から“下着”を見つけました。この視点の鋭さは今のビジネスでも見習うべきところです。 また、塚本は、コツコツと真面目で手先が器用な日本人の特徴にも注目して、日本にしかできないものがあると感じたのです。肌に身に着けるものは非常に精細な形をしているため、手先が器用でなければ、良い下着を作る事はできない。日本人には最高のブラジャーを作ることができると気づきました。それから、徹底的に最先端のノウハウを学んでいるところも素晴らしい点です。実は、塚本は創業から10年後の1956年に、約2カ月の欧米市場視察をおこなっています。1950年代のはじめから塚本が抱いていた「世界のワコール」の夢が実現できるかどうか、その第一歩である欧米視察は、塚本に鮮烈な印象を与え、経営への強い意志を固めさせたのです。彼は、この欧米視察を通して徹底的に「商売の最先端」を学びましたが、その一つが「試着室」でした。彼は、欧米の百貨店のブラジャー売り場に並ぶ「フィッティング・ルーム(試着室)」に驚き、帰国後すぐに日本の百貨店に導入を求めました。

今、我々が当たり前のように使っている試着室を日本で最初に紹介したのはおそらく塚本です。下着だけの用途だけではなく、この試着室というスペースがお客さまにとって役に立つことはアメリカやヨーロッパで証明されている。だから日本も導入するべきだということを説得力のある形で伝えた。最先端を見ることによって、日本の下着市場を開拓していったのです。」

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女性のために、女性とともに

評伝には創業期からのメンバーである、中村伊一、川口郁雄のほか、創業期からの生え抜きデザイナーである下田満智子、ワコールの生産技術部門をリードし、縫製工場の基礎をつくった渡辺あさ野といった“伝説の社員”たちも多く登場します。すばらしい人材を得ることができた塚本幸一の“人間力”にも北先生は注目します。

「ワコールの創業時に、塚本は自分の同級生である、川口さん、中村さんを引き入れた。2人とも副社長になり、大企業になった後もワコールをけん引しています。そのような優秀な人材を、個人商店のときから仲間にできたのは塚本の人間力によるものですよね。
また、創業期からデザイナーの下田満智子さん、生産管理の渡辺あさ野さんなど、ワコールでは多くの女性が活躍していました。今のワコールは性別に関わらず、人々が自分らしく美しくありたいという想いに応えることをミッションにしていますが、“女性のために、女性とともに”という想いは、今も受け継がれていると感じます。」


創業者の想いを未来へつなぐ

北先生の熱のこもったお話の後は、“ひふみ投信”の運用で知られるレオス・キャピタルワークス株式会社の藤野英人社長も加わって、これからのワコールをテーマにトークライブを行いました。藤野さんのお母さまは元ワコールの販売員。その働きぶりを見て育ったことが、のちに藤野社長自身のビジネス感に影響しているのだそうです。

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北:
「感染症の影響がビジネスに大きな影響を与えたことは事実ですが、ワコールには過去にも大きな危機に瀕したことがあります。1960年代からアメリカで始まった「ウーマン・リブ」と呼ばれる女性解放運動が、1970年にブラジャーの着用を否定する「ノーブラ運動」として日本にも波及し、当時のワコールに深刻な影を落としました。おそらく、塚本は、この影響が短期的なものか、長期的なものか、相当に悩んだのではないでしょうか?その後、塚本と当時の社員たちは、新時代の女性の心を捉える「シームレスカップブラ」を生み出し、その難局を乗り切りました。塚本が残したDNAは、「時代を読む力」と「挑戦」です。ホームランを打つためには、まずバットを振らないといけません。やめる勇気が必要なときもありますが、ワコールにはぜひ挑戦を繰り返してほしい。」

藤野:「ワコールは、人間科学研究開発センターや3D計測による多くの身体に関するデータを保有する稀有な企業だと評価しています。そのようなデータをもっと活かすことができれば、もっとワクワクする会社になるのではないでしょうか?そのときに大事なことは、10年後、20年度、社会はどのように変わるかを想像する力です。「未来視点」で見るとワコールにも戦える場所はたくさんあります。自分たちが「こうありたい!」という気持ちがあり、未来を切り開くエネルギーが見える会社は非常に魅力的です。今や、女性だけでなく、すべての人々が「美」を意識する時代です。「健康」、「美」という点でも、もっと挑戦すべきことがあるのではないでしょうか。今日のトークライブには多くの若い社員も参加してくれています。若い世代から学ぶことは非常に大事。ぜひ、次のワクワクを生み出してほしいと思います。」

イベント終了後には、「未来を想像しながら、新しい価値を創り出し、本当に社会から必要とされる企業になろうと思った。」「創業者の塚本幸一が世の中のためを思って行動してきたということを再認識した。」「改めて創業者の想いを知ることができた。想いを未来につないでいきたい。」という声が従業員から聞かれました。
ワコールはいま、大きな転換期を迎えています。困難な時代を乗り越え、事業を開いた創業者・塚本幸一。その行動や想いに触れ、先人から学ぶことで、これからのワコールをつくる従業員それぞれが自身の仕事への向き合い方について考える機会となりました。


「ブラジャーで天下をとった男 ワコール創業者 塚本幸一」について
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著/文:北康利   発行:プレジデント社 
世界有数の女性下着メーカーとして知られるワコールの創業者、塚本幸一。彼は太平洋戦争の激戦の中でもとりわけ悲惨なものとして知られるインパール作戦の生き残りであり、失った戦友たちへの思いを胸に、再びビジネスという名の戦場へと向かっていく。ベンチャースピリット溢れる豪快華麗な生涯を描きだす大型評伝。

おわり