株式会社ワコールホールディングス


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1970's 海外戦略と多角化

1970年、ワコールは大阪で開催された日本万国博覧会にパビリオンを出展、アメリカの専門誌に日本の業界で初めてシリーズ広告を掲出、国際的に自社の存在をアピールするとともに同年、韓国・台湾・タイに合弁会社を設立。アジア地域から、世界進出への第一歩を踏み出しました。合弁事業の目的は単なる低コスト生産ではなく、現地との相互信頼を軸に、共存共栄でワコールブランドを展開することにありました。
アメリカで始まった、いわゆる“ノーブラ運動”や、またオイルショックによる物価の急騰が業界に影を落としましたが、社長の塚本幸一は1973(昭和48)年にワコール商品の価格凍結宣言をし、大きな反響を呼びました。一方で高度成長に伴いファッションの多様化や個性化が進み、その流れにのって『シームレスカップブラ』『フロントホックブラ』が大ヒットをおさめました。
市場の多様化は量販店の飛躍的な成長を促し、ワコールもこれに対応して中級品の新ブランド『ウイング』を発売。また商品生産体制も拡充し、1970年代には100%出資の国内縫製会社が全国8ヶ所で稼動を始めました。そして1979(昭和54)年、会社創立30周年を迎えたワコールは全社で“CI運動”を実施してシンボルマークを一新、将来を見据えてコーポレートイメージの向上をはかりました。
70年代末、ワコールの従業員数は4000人にせまり、売上高も79年9月期で800億円を超えました。商品もファンデーション、ランジェリー、ナイトウェアだけにとどまらず、周辺分野への多角化をスタート。下着メーカー国際的な“ファッション産業”をめざして、その事業基盤を固めた時代といえるでしょう。


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